沖縄の文化
沖縄の県花
デイゴ(梯梧,学名;Erythrina Variegata)
1972年10月26日(昭和47年)、県民の投票により「沖縄県の花」として選定されました。デイゴは高さ10メートルにもなるマメ科の落葉高木で原産はインド。3月~5月頃に小枝の先端からあざやかな赤い花を枝いっぱいに咲かせます。
沖縄ではデイゴが見事に咲くと、その年は台風の当たり年と言われ、天災(干ばつ)に見舞われるという言い伝えもあります。またデイゴの根の力は強く、家の近くに植えると根が伸びて家を傾かせてしまうという事もあります。この事を沖縄では「やしきこーさー(屋敷壊さー)」と言います。
また歌手グループ「The Boom」の「島唄」の歌詞としてデイゴが出てきます。
沖縄の県木
リュウキュウ松(琉球松,学名:Pinus Luchuensis)
昭和41年2月7日に「リュウキュウマツ」を県木として制定しました。戦後復帰後、沖縄県も引き続き「リュウキュウマツ」を県木とすることを、1972年10月26日(昭和47年)に決まりした。リュウキュウマツは沖縄特有の木で、高さは15m前後に達し、年を経るにしたがって樹冠が広がり美しい枝ぶりを見せます。またリュウキュウマツは潮風害に強く、保安林、街路樹、庭園樹、盆栽などに重用され、防潮林、防風林、街路樹としても植栽されています。最近ではパルプ材のほか、美しい木目を生かしたテーブル、椅子などの家具、お盆や食器などの工芸品、木工製品の材料としても使われています。また沖縄の方言で、マーチ、マチ、八重山方言でマチイと言います。
沖縄の県鳥
ノグチゲラ(野口啄木鳥,学名:Sapheopipo noguchii)
1972年10月26日(昭和47年)に沖縄の県鳥として制定されました。ノグチゲラは世界でも珍しい一属一種のキツツキ科の鳥で、沖縄島の北部だけに生息、1972年に国の天然記念物、1977年国の特別天然記念物にも指定されています。そして分布域が狭いことや天然林の伐採、林道の建設などにより絶滅の危機を迎えており、1993年に国内希少野生動物種に指定されました。
その他にも人為的に移入されたネコ(ジャワマングース)などによる捕食による減少、さらに生息数が増加傾向にあるハシブトガラスによる雛の捕食によっても減少しています。また2010年6月に沖縄県東村で「ノグチゲラ保護条例」が制定されました。ノグチゲラ保護条例とは、生息地域を保護地区に制定し、無断での立ち入りや周囲で騒音を出す行為に対する罰金を盛り込んだ条例です。
ノグチゲラの全長約31センチメートル、翼長は15-17センチメートル。沖縄の方言でキータタチャーと呼ばれ、「木を叩く者」という意味があります。
沖縄の県魚
グルクン(標準和名:タカサゴ 高砂,学名:Pterocaesio Digramma)
1972年5月15日に沖縄県の県魚に制定されました。グルクンとは、体長約25センチ前後で、フエダイ科タカサゴ属の魚の総称で沖縄の方言名です。グルクンは熱帯性で沖縄からインド洋にかけたあたたかい海に分布しています。体側の黄色い線や尾ひれの赤い縁取りが特徴的です。また水揚げられた直後にみるみる変色し、赤色っぽくなります。
沖縄では一年を通して漁獲されており、県の主要魚種であること、沖縄独特の追込網漁業でそのほとんどが漁獲され、沖縄では数少ない大衆魚として県民の食卓や居酒屋のメニューなどに多く見られます。またかまぼこの原料にも利用されおり、沖縄の青い海を連想させる美しい色彩、さらに白身で淡白な味が好まれ、沖縄の県魚に選ばれました。有名な料理として「グルクンの唐揚げ」がありますが、沖縄では刺身として食べることもあります。
沖縄の食文化
沖縄の料理の始まりは?
沖縄は歴史的にも中国との関係が深く、食文化も健康食として知られる中国・広州市(広東省)との共通点が多くみられます。14世紀から中国皇帝の使者がたびたび琉球国を訪れるようになり15世紀になると、琉球国王が代わるたびに、冊封使(使節団)の来訪を受け、冊封の儀式が行われました。
大事な中国からの来訪をもてなすために、料理人を中国に派遣してまで中国料理を学ばせたと言われています。それにより沖縄の食は、中国の影響を強く受けているのです。「食は広州にあり」と言われるように広東料理は、世界で最もおいしい料理の一つ。アジアの食は欧米に比べ、塩味が濃いと言われておりますし、沖縄の人はアジクゥーター(濃い味付けを好む)とよく言いう所もまた共通点といえます。
そして中国同様、沖縄料理には野菜や豚肉が多く使われています。
よく知られている定番料理
チャンプルー料理
沖縄の方言でまぜるなどをチャンプルーということから野菜や豆腐を混ぜ合わせる料理のことをチャンプルー料理といいます。
・ゴーヤーチャンプルー
・ふーチャンプルー
・ソーメンチャンプルー
・豆腐チャンプルー
沖縄そば
沖縄の地域により麺の太さや形、豚だし、鰹だしのブレンドでスープの味も異なるため、食べくらべをするなどご当地の沖縄そばを楽しむことができる。
タコライス
お皿に盛ってある米飯の上にタコミート(ひき肉)千切りのチーズ、レタス、トマトなどを順にのせ、トマトベースの赤いサルサをかけて食べる料理。
その他沖縄料理
海ぶどう
島らっきょう
ジーマミー豆腐
グルクン料理
アーサーの天ぷら
豆腐よう
沖縄はなぜ豚肉をよく使う?
やはり中国の影響が大きく、沖縄の豚は1392年、中国から渡来人によってもたらされました。1605年に中国・福建省からイモ(カライモ)が入ってくると同時に、豚の飼育が急速に広まりました。イモが豚の餌として向いていたためです。また沖縄は、宗教的な食のタブーがほとんどないのに加え、中国や東南アジアとの交流を通して肉食に偏見がなかったことも、影響したようです。中国と交流が出来るまでは牛肉が主だったとか・・・沖縄の豚肉消費量は全国平均の約2倍!?だそうです。
沖縄宮廷料理
中国から沖縄への使節団は多い時には総勢約500人にものぼり、琉球王府の賓客として半年間も滞在したようです。そのため料理人を中国に派遣してまで中国料理を学ばせたと言われています。一方、薩摩の侵攻後は、薩摩の官吏をもてなすために、やはり料理人を薩摩に送り、日本料理を学ばせていました。このように、中国とヤマト(日本)の影響を受けながら王府を中心に伝わってきたのが「宮廷料理」と呼ばれる、おもてなし料理です。
宮廷料理「東道盆」(トゥンダーブン)
琉球宮廷料理の中でも最も有名なのが「東道盆」(トゥンダーブン)という料理です。宮廷料理のオードブルともいえる華やかな料理で、八角に仕切られた鮮やかな朱色の漆器の膳盆に、様々な料理が美しく盛りつけられています。
おきなわのビール
ビールの歴史は6000年以上とも言われていますが、沖縄のビールの歴史は昭和32年頃ビール会社が設立されたことから始まります。軍事基地建設ラッシュ、高度経済成長気などの影響を受け、県民の生活水準が向上し、ビールの輸入が促されていました。
現在では地ビール、発泡酒など沖縄で製造しております。
泡盛の歴史
泡盛のルーツ
【東南アジア説】琉球時代の交易が背景にあり、その国を訪れた際に大量にお酒を購入したという東南アジア説。(タイ米を使用している)
【中国・福建ルート説】14世紀以降中国と親しく交易してきた琉球の歴史の中で、酒造りの技法を学んだとする中国・福建ルート説。(米を原料にすること。泡をもって泡盛の出来を判断すること等)
泡盛の歴史
泡盛は15世紀末、1400年代後半にはすでに琉球で造られていたと考えられ、約600年の歴史があると言われています。少なくとも約500年前から蒸留酒を古酒にして飲むという習慣があったようで、その習慣が泡盛の古酒文化につながったのかもしれませんね。沖縄は500年も前から古酒にして酒を楽しむ文化があったなんて驚きです。
古酒(「仕次ぎ」という方法でこれは琉球時代から行われてる)
泡盛は、大切に管理していけば、100年、200年の古酒に、それも各家庭で、育てることができますが、このようなお酒は、世界でもほとんど例をみません。
琉球王朝時代に200年物や300年物が存在したとされますが、それらは沖縄戦により全て失われ、今では首里の識名酒造に貯蔵された150年物の古酒が現存するのみだそうです(販売されることはない)。